四季折々の浅草。みなさんお揃いでどうぞ
*新型コロナウィルス感染症の状況により変更等の可能性があります

◆3月4日,4月18日,
5月18日
お茶湯日
◆3月18日 浅草寺本尊示現會/金龍の舞
◆3月17日,18日 浅草神社本社神輿
「堂上げ・堂下げ」
◆4月の第3土曜日 浅草流鏑馬(やぶさめ)
◆4月の第4日曜日 泣き相撲
九代目團十郎「暫」復元記念
◆5月5日(子供の日) 福聚の舞「宝の舞」
◆5月の第3金,土,日曜日   三社祭
「浅草のメインイベント」


お茶湯日(功徳日) <3月4日,4月18日,5月18日>
 仏様には色々なご縁日があり、観音様のご縁日は十八日、地蔵様のご縁日は二十四日とか、古くから云われておりますが、室町末期以降この他に功徳日が設けられ、この功徳日にお詣りすると百日に向かうとか、千日に向かうとか、同じ功徳にあずかると云われ、いわば特別デーとして広められてきました。
 功徳日のことを「お茶湯日」とも云って、信徒が、観音の宝前に献茶されたお下がりを頂いて喫む風習が古来からありました。実は毎日献茶しているのですが、功徳日に限って特に信徒へ授与され、これを講員組織にして出来たのが「お茶湯講」で、現在では「月参講」と称して講員は5000人以上にも及んでいます。
 浅草寺でこの「お茶湯講」が組織されたのは、天保時代からで、当時の世話人発行のチラシも現存しております。


浅草寺本尊示現會/金龍の舞 <3月18日>
 推古天皇三十六年(西暦628年)3月18日江戸浦(現在の隅田川)で漁をしていた漁師檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)兄弟の投網の中に一体の小さな仏像を発見し駒形堂辺りから上陸、それを土師真中知(はじのまつち)が拝し、聖観世音菩薩の尊像であることを知り、槐(えんじゅ)の木の切り株の上に安置した後、土師真中知は自ら出家をして屋敷を寺に改めて深く帰依したと「浅草寺縁起」は伝えており、その聖観世音菩薩がご示現された浅草寺創始の聖日を慶祝し執り行われます。土師真中知・檜前浜成・檜前竹成の三者は三社権現(浅草寺)の御祭神として祀られております。
 浅草寺では、当日の本尊示現会祈祷は特殊な色の祈祷札で知られる「紅札」が授与されます。

●金龍の舞
 浅草寺の山号を金龍山と言う縁起は「十八日寺辺に一夜にして松千株ほど生ず、三日を過ぎて天より長さ百尺ばかりの金鱗の龍、松のなかにくだりしが、その後あるところをみず、これによって金龍山と言う」ところから出ています。金龍の舞は、この由来によるもので、昭和33年10月昭和本堂が落慶した際、浅草観音慶賛会が後生に永く伝える記念行事として創始奉納したものです。
 金龍の舞の奉演は3月18日のご本尊示現会と10月18日の菊供養の佳日に行われています。
 金龍の舞は故久保田万太郎先生の指導の下に演出吉川義雄、作曲町田嘉章、舞の振付藤間友章の諸先生が担当され、地元の各町青年部有志70余名が斎戒、精魂を傾けて奉演します。既に著名な行事となっています。


浅草神社本社神輿「堂上げ・堂下げ」 <3月第3土,日曜日>
●堂上げ/3月第3土曜日
堂上げ  浅草寺本尊示現会の行事として古式に則り浅草神社の本社神輿三体を浅草寺本堂外陣にお上げし一夜奉安致します。十九日夕刻、浅草神社神職神霊入れの儀齋行の後、本社神輿三基を氏子衆(うじこしゅう)により松明(たいまつ)で照らされた浅草寺本堂外陣へ「堂上げ」致します。この際 重さ一屯以上も有る一之宮・二之宮・三之宮が本堂階段を昇る様は荘厳かつ優美で、見る者を圧倒するものであります。
 同時に仲見世参道には「慈灯の道」(じとうのみち)参道中央に蝋燭が灯り本社神輿の一夜奉安を慶祝します。

●堂下げ/3月第3日曜日
堂下げ  本堂外陣に納められた一之宮(土師真中知命)<はじのまつちのみこと>・二之宮(檜前浜成命)<ひのくまはまなりのみこと>・三之宮(檜前竹成命)<ひのくまたけなりのみこと>のご神体はご本尊の御前で一晩お宿まりし、翌二十日午前、浅草神社宮司祝詞奏上、浅草寺一山式衆 読経の後、本堂より「堂下げ」して浅草寺境内に安置され、夕刻本社神輿三基は氏子衆の手により浅草神社に還御致します。
 浅草寺僧侶らによる読経と浅草神社宮司祝詞奏上を同時に行うこの行事は神仏分離以前の観音祭とも呼ばれていた三社祭を一部再現し、五月の三社例大祭のプロローグでもあります。

共催:浅草観音奉賛会・浅草神社奉賛会・浅草観光連盟
後援:浅草寺・浅草神社


浅草流鏑馬(やぶさめ) <4月第3土曜日>
 浅草で行われていた流鏑馬には、大変古い歴史があり、江戸時代、浅草神社の正月行事として毎年1月5日に実施されておりました。その模様は「浅草寺志」「東都歳時記」にも書かれております。
 現在各地で実施されている流鏑馬の形式とは異なりますが、人々の信仰にささえられた正月の行事として大変な賑わいを見せていたと想像されます。
 現在は小笠原流弓馬術礼法宗家の協力により古式に則ったやり方で午前11時より隅田公園にて執り行います。


泣き相撲 九代目團十郎「暫」復元記念 <4月第4日曜日>
 丈夫で健康な子供に育ってもらいたいという親の気持ちは永遠の願いです。昭和61年に浅草寺裏に復元された九代目團十郎「暫」(しばらく)の銅像は、鎌倉権五郎という前髪姿の子供であり、「せりふ」にも子供言葉が使われている豪快で力強い子供です。九代目團十郎「暫」 に因んで平成3年より泣き相撲を開催しております。


福聚の舞(浅草寺宝蔵門 落慶記念) <5月5日>
 5月5日の端午の節句に奉演される「宝の舞」と2月3日の節分会で奉演される「七福神の舞」とがあります。

● 宝の舞
 福徳をあらわす七福神を乗せた船として古来人気のあったのが宝船でありますが、この宝船を多勢の幼児によって引き、観音様の福徳の御働きをたたえたのが、宝の舞であります。昭和47年から始められ、現在浅草寺幼稚園児によって舞われております。
 奉演日:5月5日 子供の日

● 七福神の舞
 昔から七福神は福徳の神として庶民の信仰を集めてきましたが、浅草寺の末社の中にも七福神を祀るものがあり、七福神めぐり等も行われておりました。又、江戸末期、猿若三座の一つ市村座の座主は浅草観音に帰依の心極めて深く、自分の座の興行には前狂言として「七福神踊り」を上演して観音様の功徳をたたえました。この「七福神踊り」は長唄もので、享保〜宝暦年間に市村座の立三味線を勤めた初代杵屋宇右衛門の作曲と伝えられますが、市村座では三番叟と同じ意味で毎日の興行に前狂言として稲荷町の俳優(今日の大部屋連中)に所演させ、明治初年まで続きました。従って浅草にゆかりの深いこの市村座の七福神踊りを、昭和39年4月1日、宝蔵門落慶の記念行事として復興することにしたのであります。

 恵比須、大黒の二神は素面にし、他の五福神は面蘢をかぶって顔をかくしています 。衣装、小道具は何れも七福神の故実通りにし、恵比須、大黒の二神だけが舞をまい、他の五神は後方に控えています。


考案:高坂公一作詞:竹柴蟹助
作曲:杵屋勝五郎振付:花柳輔三郎
作調:望月太左衛門
奉演日:2月3日節分会、浅草寺本堂


三社祭 「浅草のメインイベント」<5月第3金,土,日曜日>

 三社とは浅草神社の旧名の三社権現と称されていた所から出た名で、浅草寺観音像を浅草浦(宮戸川)から拾い上げた土師真仲知(はじのまなかち)・檜隈浜成(ひのくまはまなり)・檜隈武成(たけなり)の三人を祀る所から世に三社権現と称されていました。
 三社祭は古昔は毎年3月17・18日が大祭でしたが、明治5年から5月17・18日に改められ、更に近年は5月の第3日曜日とその前 金曜・土曜日に行われるようになりました。また三社祭には古式神事の柏板舞(びんざさらまい)が行われますが、中世の田楽舞の伝統を受け継ぐ古楽舞で、東京都の無形文化財に指定されています。
 三社祭は神輿渡御が有名であり、浅草神社の氏子町会四十四ケ町の神輿勢揃いが土曜日午後1時に浅草寺境内にて行われ、浅草が祭り一色に染まります。神社神輿の渡御(本社神輿三体 一之宮・二之宮・三之宮)は日曜日午前6時浅草神社境内より担ぎ出され、それぞれ三方面に別れ氏子各町会を練り歩きます。順路の委細は浅草観光センター(雷門前角)またはJTB浅草支店前に置いてあります三社祭本社神輿渡御順路マップをご参照ください。本社神輿の渡御は大変キケンですので見学には十分お気をつけください。

●行事日程
・金曜日 午後1時 大行列  浅草組合前出発(浅草寺裏)

<順路>浅草組合前−千草通り−千束通り−ひさご通り−ロックブロードウエー−すしや通り−雷門通り−雷門−仲見世−浅草神社

<編成>お囃子屋台・金棒・鳶頭きやり・総代・各町役員・びんざさら舞・芸妓連の手古舞・くみおどり・白鷺の舞・屋台
・土曜日 午後1時 氏子各町神輿連合渡御(浅草観音堂裏広場へ勢揃い)
・日曜日 午前6時 本社神輿宮出し  一之宮・二之宮・三之宮

午前11時〜午後6時は雷門通り・馬道通りがお祭り広場として車両通行止めになります。

資料提供:浅草観光連盟


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